◆◆◆ 立川亮 エッセイ ◆◆◆

 一致団結する雰囲気が好きだ。
 例えば、本番直前の円陣なんかも気に入っている。手を出し合って、ヨイショと気合いを入れる。そして、メンバーそれぞれの目を見ながら握手をして、舞台へ向かう。
 青臭いかもしれないが、こういう時、仲間っていいもんだとつくづく思う。団体行動の醍醐味を感じる瞬間だ。ひとつの目標に向かって力を合わせて汗かいて。ライブは、ミュージシャンの運動会みたいに思えてくる。

 私が子供の頃、体育の日といえば10月10日で、学校の運動会はたいていその近辺に行われた。
 小学校の時は応援団長をやらせてもらった。今、卒業アルバムを開いてみたら、なぜか剣道の胴着に身を包んで声を張り上げている自分を見つけた。なぜ、剣道の胴着を衣装にチョイスしたのだろうか。さっぱり、思い出せない。
 中学校の時は陸上部だったのに、他の部活をやっているクラスメートの方が俊足で、リレーには出れなかった。まあ、陸上部といえども種目は三段跳びだしね、と自分を慰めた。牛乳が嫌いで、背も小さかった。今は、好きだ。
 高校生の時は上半身裸で踊った。いや、別にそういう趣味があった訳ではない。ただ、体育教師が日体大の方々で、大学伝統の「エッサッサ」という踊りを男子生徒は踊ることになっていた。股を大きく開く姿勢を取るので、短パンからポロリしないか皆気にかけていたものだ。

 今回の寄席のパンフレットにも少し書いたが、3年程片想いしていた女性がいた。20才そこそこの時のこと。
 その彼女と、粘り腰が功を奏して付き合いが始まった日が、ある年の10月10日だった。「覚えやすい日のほうがいいよね」という青臭い理由から、車の中で日付が変わるのを待って「付き合って下さい」と言った覚えがある。まったくもって、青臭い。
 しかし、その時は「いつか別れがくる」などとは考えもしなかった。当然だ。だって、青臭く永遠を信じていたんだもの。彼女と神戸で別れて飛行機で東京に戻り、東海道線で川崎へ向かいながら一人で泣いていた日から、もう10年が経とうとしている。
 それなのに、毎年10月10日になると、今でも彼女のことを思い出す。本当に、まったくもって、青臭い。ちなみに今年は、チャットモンチーの特番を観ている時に彼女を思い出した。彼女は、B'zが好きだったけど。

 男同士で呑んでいると、時としてこういう話題で盛り上がる。
 誰かが青臭いエピソードを語り、ドッと皆で笑う。なにか、青臭さを分け合っているみたいで、ある意味、一致団結している気分になる。そして、皆に笑われることで、青臭い時代の自分が、初めて意味を持つような気がしてくる。
 気がしてくるだけかもしれないが。

-2008.11.10(月)

 

 神吉拓郎氏の「顔」というエッセイは、このような文章で書き出される。
「忘れていた顔というのがある。
 忘れていた名前というのもある。
 何十年ぶりかで会ったときに、その両方が、頭のなかでビシッと一致すると、実に嬉しい。」

 先日、墓参りを兼ねて実家に帰った際、浪人時代を過ごした駅で、高校の同級生に出会った。15年ぶりの、まったくもって思いがけない再会だった。
 10メートル離れたところくらいから、目があいだす。お互いに、似ているけどまさかという顔になる。近寄る。ああ、やっぱりおまえかと笑う。

 久しぶりすぎると、なんだか会話はぎこちなくなり、変な汗が出てきて困った。
 見た目は変わらないものの、彼の隣には小柄でかわいい奥さんがいて、いつの間にか二児の父になっているという。
 友人から聞いていた話によると広島にいたはずの彼は、いまは横浜に暮らしているとも言った。突然の再会と状況の変化に着いていけず、ただただ、ヘラヘラと笑うしかなくなる私。
 約束があったので、とりあえず連絡先を交換して別れた。さりげなく別れたつもりだったが、乗る予定もなかったのに駅の改札を通ってしまい、なんとなく隣の駅まで電車に乗った。

 彼とは、同じ高校に通い、揃って浪人して、同じ予備校に入った。
 といっても、まともに予備校へ通っていたのは夏過ぎまでで、それからはテキストだけを受け取り、再会したその駅にある公民館で勉強することになった。彼と眼鏡の友人と私の3人で。
 なぜ予備校へ通わなくなったのかは、まったくもって思い出せない。単に、家から遠かったからくらいの深くない理由だと思う。

 その公民館での日常はこんな感じだった。
 だいたい、9時頃に公民館に入る。そして、昼過ぎまで英単語や漢字を覚える。「ターゲット」という参考書みたいなものが流行っていた。
 お腹がすくと、近くのほかほか弁当か喫茶店で昼ごはん。
 再び公民館へ戻り、予備校のテキストで勉強開始。これが夕方まで続く。よく言えば、自らを信じた意思のある受験生。正確に言えば、予備校学費の無駄遣い。
 そして、暗くなった町を駅まで歩く。
 真っすぐに帰ればいいのに、いつからか駅前のパチンコ屋へ立ち寄るようになった。「大工の源さん」という台が人気だった気がする。そのまま閉店までジャラジャラと座り続ける。で、帰る。

 秋が深まる頃、眼鏡の友人はパチプロのようになっていて、開店から閉店まで、一日のほとんどの時間を源さんの前で過ごすようになった。何万と勝つと、ガード下にあるトンカツ屋で「わらじかつ定食」をご馳走してくれた。
 いつの間にか、眼鏡の友人のあだ名は「社長」になっていた。

 同じ頃、私はドーナツショップのお姉さんに恋をしていた。
 毎日のように通っては、おかわり自由のコーヒーを10杯くらい飲んで胃を悪くした。そのうち、他の店員さんが応援して下さるようになり、ドーナツまで戴くようになって、出されるままに食べていたらご飯が食べれなくなった。

 そんな二人の間で彼は、時にパチンコ屋、時にドーナツショップへ顔を出しては、私たちの話に耳を傾けてくれていた。
 結果、彼も勉強する時間は少なくなっていたと思う。それでも、いつもニコニコと、彼は楽しそうに話を聞いてくれた。
 冬になる頃には、3人ともそれなりに勉強するようになり、春にはそれなりに別々の大学へ入った。そして、たまに取っていた連絡も、そのうち穏やかに途絶えていった。

 神吉氏のエッセイは、こんな言葉で結びに向かっていく。
 「その顔にまつわる思い出は、それこそ千変万化で、こうしてみると、俺の人生も結構賑やかなものじゃないか、と、嬉しくなったりもする。」
 そうだなあ、と思った。年齢を重ねることの醍醐味は、きっとこういうところにあるのではないかと思う。たとえ、それが、少々苦い思い出であったとしても。

-2008.09.01(月)

 

<前回のあらすじ>
 〜立川の親友、ロドリゲス剛。
 出会いは共に23才、大阪は石橋の焼鳥屋。185センチに近い爽やかな体育会系の彼と、当時は夜の生活に重きを置いていた気難しい文系の立川を引き合わせるのに、共通の友人の新井くんは四苦八苦していた。
 そんな中、立川の大好物「焼鳥丼」を、ロドリゲスが勝手に完食するという事件が発生。押し黙る立川。焦りまくる新井くん。気付かないロドリゲス。そして…。〜


 空腹が満たされてきたロドリゲス剛は、益々快調に話を継いでいった。
 明らかに不機嫌になっていく私を気にしながら、生返事を繰り返し会話を繋ぐ新井くん。
 ラグビーの話から旅の話、そして私の大嫌いなスキーの話へと進んでいく頃、私はすっかり帰り支度を終えていた。
 煙草をジャケットのポケットにしまい、席を立とうとした瞬間、ロドリゲス剛はこう口にした。

 「僕はなんでも色で判断するねん」−。

 それまでの会話とは何の脈絡もなく発言されたこの言葉が、私に引っ掛かった。
 当時、私も自分の素敵を言葉ではなく、色で表現したいと考えていたからだ。
 もう少しだけ話を聞いてみようと座り直した私を見て、彼は初めて話し掛けてきた。
 「絵でも人でも、すごいものはいい色を出してくるねん。それに気付ける状態で常にいたいなあ」と。
 私も、まったく同感だった。その言葉をきっかけに、それまでの険悪なムードが嘘のように、私たちは熱心に話し始めた。
 同じカメラマンの撮る写真が好きなこと、似た時期に母親を亡くしていること。話題は、次から次へと尽きなかった。
 すっかり盛り上がった私たちは、次の店へ移ることにした。ふたりが意気投合したことで肩の荷が降りた新井くんは、急に酔いがまわってきたらしく、肩を組まん勢いで歩く私たちの遥か後方を、フラフラしながら歩いていた。

 その数日後、私のバンドが出演するイベントに、ロドリゲス剛は遊びに来てくれた。
 それまでのイメージを打破すべく、アフロヘアのカツラを被り、グリグリ眼鏡をかけ、背中には「はじけそうさ!ポップコーン正一!」と書いた黄金マントを羽織り、新曲の「ポップコーンラブ」を演奏する私たちに、それまでのお客さんは「もっと方向性を考え直して下さい」等と、はっきりと失望を示して去っていった。
 無理もない。それまでは、夢色の恋や、君の幸せを唄っていたのだから。

 しかし、ロドリゲス剛は違った。
 「衝撃的だった。僕も何か始めないと」と、夢見る少年の目付きで大喜び。そして、私がライブで使用したアフロカツラをプレゼントすると、嬉しそうにその場で被り、そのまま電車に乗って帰っていった。

 数カ月後、彼は国民的美少女を輩出する有名モデル事務所に所属が決定し、私より半年早くに上京。
 深夜の通販番組では、レギュラーで爽やかに微笑みまくり、雑誌の車内吊り広告ではブーメランパンツで人々をプールに誘った。
 そして、突然舞台に目覚め、日本最大規模の劇団で舞台俳優の道を歩き出した。初めての役は、「ライオンキング」でのシマウマだった。

 今月で、私も彼も(ちなみに新井くんも)35才になる。
 このように刺激的な友人が、幾つになっても変わらず側にいてくれることに、いっぱいいっぱい感謝している。

-2008.07.01(火)

 

 彼とは、まだ大阪にいた頃に、石橋という街にある屋台で出会った。
 共に23才だった。まわりの友人から気難しく頑固な男だと思われていた私と、何を考えているのか解らなくマイペースな彼を引き合わせることに、ふたりに共通する友人の新井くんは、かなり気を遣っていたらしい。

 その日、私は確かにごきげんさんだった。
 そこは、「これで飲ませて下さい」とポケットのお金をかき集め、それが例え900円だったとしても、「はいよ、貧乏セットや」と笑って気持ちよく肴を出してくれるような店だった。
 新井くんは、いつになく楽しそうな私を見て、またとないチャンスだと考えたらしい。ひそかに、近所に住む彼を呼び出した。

 何も知らない私が、普段はお金がなくて中々注文出来ない焼鳥丼を注文した頃、彼は爽やかに登場した。新井くんが彼を手招きする。185センチに近い彼は、身体を小さくして私の隣に腰を降ろした。
 色黒。短髪。白いラガーシャツが似合う。その頃、すっかり夜の男となっていた私(ただの居酒屋勤務だが)とは、明らかに違和感があった。
 少し距離を感じて、しどろもどろな私。白い歯を輝かせて笑う彼。その微妙な空間を切り裂くように、お楽しみの焼鳥丼が届いた。

 彼は、「あっ!焼鳥丼や!これ、食べていいかな?」と、無邪気に聞いてきた。私に否と言えるはずはなかった。なにしろ、むやみに爽やかなのだから。
 仕方なく頷いた私の隣で、彼はパクパクと美味しそうに箸を動かし、くいしん坊の松岡さんばりに幸せそうな顔で、あっという間に完食した。
 「少しくらい残してくれるやろ。初対面やし、俺の前に置かれたもんやし、味見やろ味見」と、自分を励まし続けていた私の期待はあっさりと裏切られ、隣には大満足な彼の顔があった。

 一瞬にして私は押し黙った。ワタシハ貝ニナリタイ。

 そんな私を気にして焦る新井くんのことを全く気にもとめず、彼はひたすら食べ、合間に飲み、そして、喋り続けた。
 地球が黄色になっても、彼と解り合えることはない、と私は思った。
<つづく>

追記
彼の名前は、ロドリゲス剛。
  現在も親友としておちょくり合う彼との出会いは、こんな感じに最悪だった。

-2008.05.01(木)

 

 大学時代の友人の結婚式があった。
 私は、新郎に頼まれて、チューリップの「青春の影」を唄うことになった。両親への花束贈呈のひとつ前、いわゆる余興のトリに私の出番はセッティングされていた。
 なんとなく恥ずかしいので、「新郎の釣り仲間で、鮎の一本釣りを得意とする」という嘘だらけの肩書きで紹介してもらいながら、しずしずと席を立った。
 「さあ、感動させてや!」という顔で私を見る新郎。期待に目を大きくしている新婦。生まれついての天邪気な私は、そのフォークの名曲を、友人のギター伴奏に合わせて、サブちゃんばりの演歌調で唄った。会場を練り歩き、来賓と無理矢理握手をしながら。ほぼ、早撃ちマックに扮しているときの私に近い。新郎あんぐり。新婦絶句。
 そんな中、唄い終えて席に戻った私に、隣に座っていた友人が、「たってん(私のあだ名)、スーツの袖に生クリーム付いてるで」と冷静なアドバイスをくれた。
 いつだって冷静な、その友人こそが、今回の話の主人公の谷くんだ。フルネームは控えるが、中国語読みするとグー・ヤンとなる。

 谷くんとは、学部もクラスも同じだった。
 芦屋生まれの芦屋育ち。れっきとした育ちのいいボンボンだ。学生時代の趣味も、カメラから始まりギター、カヌーと一定しなかったが、どれもお金が掛かるということを強調したい。
 ある新歓コンパの時のこと。皆が一杯目はビール、と手を挙げている中、谷くんはひとりおもむろに「僕はバランタイン(高いウィスキー)の17年もの」と答え、店員に「ない」と言われると、「ないの?じゃあ10年もの」とあっさり変更。それも「ない」と言われると、「あっ、そう、じゃあ5年もの」と冷静にオーダー。それも「ない」と言われると、「もう何でもいいよ。ロックで」と、あくまで冷静にオーダー。新入生から見ると、さぞや大人に見えただろう。ただひとり、ウィスキーのオンザロックなのだから。
 2時間が経ち、店を移る頃、谷くんの前に置かれたオンザロックは、溢れそうな水割りになっていた。そう。谷くんは酒が呑めなかったのだ。それなのに、蘊蓄ぶってしまう。こういうところが、谷くんの醍醐味なのだ。

 谷くんが巨乳な彼女、マイマイと出会ったのは、英会話スクールだった。最初はどう問い掛けても彼女のことを話さなかったが、やはり嬉しかったのか、ポツポツと語り始めた。
 そして、デートの日程と場所をキャッチした私と友人は、アルバイトを休んで彼らのデートを尾行することにした。若さゆえの暴走全開。友人は本気でタクシーに轢かれそうになったりしたが、私たちは谷くんの驚く顔が見たくて、ひたすら尾行に熱中した。
 5時間に及ぶ尾行の末、どっきり風に彼らの前に飛び出してみたが、谷くんは「あら、いつからいたの?」と笑いもせずに冷静に質問した。巨乳なマイマイは、そんな彼を頼もしげに見ていた。私と友人は急に疲れを感じて、ごはんも食べずに帰った。

 結婚式のテーブルで、「カジキマグロ・タコ・帆立貝のカルパッチョ」を私は箸で、谷くんはフォークとナイフで食べながら、そんなこともあったねと話をした。なんだか、ずいぶん歳をとった気がした。だけど、こういう時の思い出話は悪いものじゃない。
 私たちがビールやワインを呑んでいる中、谷くんはひとりウーロン茶を飲んでいた。

-2008.03.03(月)

 

 昨年は、言葉に苦しめられて、言葉に助けられた一年だった。
 私は日記を書く。そこに、一日を終えても残っている言葉も書き記す。それはきっと、心に響いた大切なものだと思うから。なんちゃって〜。素敵な言葉をいっぱい知ってたら、ナイスミドルになれそうだしね〜。
 日記をパラパラめくって、一年を終えても印象に残っている言葉を幾つか拾ってみた。以下、順不同。

「正しいことを言うときは少し控えめにする方がいい」
(吉野弘/詩人)
「人生が仕立おろしのセビロのように、しっかり身に合う人間にとっては、文学は必要ではない」
(吉行淳之介/作家)
「自分の中に燃料を持っていなければ、人の心を燃やすことはできない」
(朝比奈隆/指揮者)
「成功したことは偶然です。しかし失敗したことには、それだけの原因があります」
(三鬼陽之助/経済評論家)
「鳥は逆風の時にしか飛べない」
(谷村新司/ミュージシャン)
「名君は賢臣を創る」
(堺屋太一/作家)
「人生はアップで見ると悲劇だが、ロングで見ると喜劇だ」
(チャールズ・チャップリン/映画監督、俳優)
「落語は笑わせるものじゃない。笑ってしまうものなんです。客を笑わせることは恥ずかしいことだと思ってます」
(柳家小三治/落語家)
そして、もうひとつ。
「目の前にないもののことも、遠く離れていく出来事も、人は言葉と思いとによって呼び起こすことができる」
(蜂飼耳/詩人)

 いつかまた、これらの言葉を読み返す時があるとしたら、私は何を呼び起こすのだろうか。
 とりあえず、今年はスポーツ刈りにしたい。

-2008.01.01(火)


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