● 立川亮のマンスリーエイトマン ●

「タンゴ連載リレー小説・前編」

 先日、知らぬ間に20回を数えていた円山町寄席。思えば遠くヘ来たもんだ、継続は力なり、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。なんにしても、来て下さる方々あってのことには変わりません。ありがとうございます。これからも、どうぞご贔屓にお願いします。

 いろんなことをやってきましたが、その一つに「円山町寄席便り」というものがあります。メンバーそれぞれが原稿を寄せて、若山君が編集作業に勤しむフリーペーパー。いや、カッコつけ過ぎました。壁新聞です。開演までの寄席の友になって頂ければと思い、根性で発行し続けている壁新聞です。

 様々なB級読み物が集まっている、この寄席便り。その中でも最もくだらなく、かつ、あっさりと終わったものに「タンゴ連載リレー小説」というものがありました。
 昨夜、資料の整理をしていたら、たまたま寄席便りの第ニ号を発見。その号の「リレー小説」を担当していたのは、僕でした。余りにも意味不明の文章で、このままにしておくのもどうかと思いましたので、エイトマンで再掲載してみようと思います。

 しかし、何故か先程から若山君と連絡が取れません。
 自分が書いた文章とはいえ、一応、編集者には相談するのが人の道。どうしよう、もう日付が変わって9日になってしまう。このままでは、マンスリーナインマンになってしまう。

 という訳で、続きは若山君の了解を取ってからとさせて頂きます。
 ちなみに、このリレー小説。メンバーがひと通り書いた第四回で、未完のまま敢え無く終了しました。では、若山君の電話を待ちながら、から騒ぎでも観ることにします。

-2008.11.08(土)

 

「朝どりタンゴ!」
〜セッション中のスタジオから、創作真っ只中の新曲の歌詞を、タンゴリアンに特急便でお届け!〜

<タイトル:女の幸せ>
今朝は父と 近くの公園を歩きました
昨日までの雨も 明け方には止んでくれて
程よい風が吹き 心地よい時間でした
父は何も言わずに 遠くを見ながら
穏やかな顔をして歩いていました

母が3年前に亡くなってから
こうして父と歩くことが多くなりました
22才で家を出て 母が亡くなるまでずっと
好きなことをして 私は生きてきました
40を意識しはじめた頃から
なんとなく 金沢に帰りたいと 考えてはいましたが

思えばいいきっかけを 探していたのかもしれません
結婚もせずに 好きな絵を描いて
それで生活に困らないお金を戴いて
周りの友人は皆 このままでいいじゃないと
口には出さなくても そういう顔をしていました
でも いつからか 東京に 距離を感じ始めていたんです

私は金沢に帰ってきました
今 父は ほとんど話しません
きっと私のことも もう判っていません
今日も父は何を見ていたのでしょう
ただ 穏やかな顔をして歩いていました

-2008.09.08(月)

 

「朝どりタンゴ!」
〜セッション中のスタジオから、創作真っ只中の新曲の歌詞を、タンゴリアンに特急便でお届け!〜

<タイトル:二号室>
あなたには帰る場所がある
だから私には優しくなれる
自ら望んで選んだものの
全く何も残らない
逢えない日々に詰め込んで
まとめて抱えて確かめる

あなたには帰る場所がある
それは私には見えないところ
灯りを点ければ あたたかく
灯りを消したら 燃えあがる
とどまるところ 幸せで
とどまるところ 幸せで

あなたには帰る場所がある
夏の心に沁みわたる
短く切った髪を撫で
待ちながらただ眠らせる
触れたい夜に届かずに 触れたい夜に届かずに

あなたには帰る場所がある
だから私には優しくなれる
余った隙間を埋めていく
つけいるように埋めていく
何処にも風が逃げないように
何処にも風が逃げないように

そしてあなたは帰りゆく
あなたには帰る場所がある
あなたには帰る場所がある

-2008.08.01(金)

 

「朝どりタンゴ!」
〜セッション中のスタジオから、創作真っ只中の新曲の歌詞を、タンゴリアンに特急便でお届け!〜

<タイトル:相似形>
齢をとるにつれて だんだんと
おかしいくらいに似てきました
頑固なとこも ボソボソ話すとこも
小さい頃から似ていた歩き方も あいかわらずで
曲がったことはほっとけないのも同じです

齢をとるにつれて だんだんと
大きくなってきています
僕のような息子をもち 育ててくれた後ろ姿が
自分に子供が出来た時 解るのでしょうか
本当の強さを持つことが出来るのでしょうか

  今でも後悔しています
  あなたのようになりたくない、と
  口汚く責めて罵ったことを


齢をとるにつれて だんだんと
面倒なことが増えてきました
不思議なひともたくさんいます
けど 愛せるようになりたいです
騙されてもいいから人を信じろ、って言われたことを
間違ってるとは 今でも思いません

  今でも憶えています
  遠く離れる僕を見送る
  消えないで小さくなっていく あなたの姿を


ゆっくりと花が移っていきます
あなたがあなたらしくいることを
僕は誇りに 誇りに思います

-2008.06.24(火)

 

「アウトボクサー」

 「立川さんは、どうでもいい会話をするのが上手いですよね。俺は駄目なんですよ」
 先日、気心の知れた人から貰った言葉だ。これだけ聞くと、なにやら不穏な雰囲気が漂うが、もちろん流れがあってのこと。和やかな昼下がりの会話の一部だ。その内容は、こんな感じだった。

 人と接する時には、それぞれ自分の距離で話そうとするもの。特に、まだよく知らない間柄なら尚更そうだ。
 その方は、いきなり深いところに入っていくタイプらしい。無駄な話は省いて、真っ直ぐに核に迫っていき、そこで息が合うと急速に仲良くなっていくという。
 反対に私は、いろんな話をしていくうちに、徐々に相手を知り、自分を出して仲良くなっていくタイプのようだ。そういえば、ひとつ目の話ですぐに深くなる人もいれば、3年くらいかかって仲良くなる人も珍しくない。

 その方は、続いてこんな例えを出してくれた。
 ボクシングの選手は大まかに、まっすぐに相手の懐に飛び込んで闘うインファイターと、足を使って自分の距離で様子を見ながら闘うアウトファイターのふたつのタイプにわけられる。
 自分は懐に飛び込むインファイター型の会話者で、のらりくらりと距離をみる立川さんはアウトファイター型の会話者といったところじゃないか。でも、タイプが違うから楽しいこともあるし、また一緒にいて補えるのではないかと。

 なるほど、そう言われれば、インファイター同士の打ち合いも興奮するが、タイプの違うアウトファイターとの試合もどちらが主導権を握るのか目が離せなくなる。また、アウトファイター同士の心理戦も楽しい。
 人との会話もそうで、深く入っていく人同士の会話はスリリングだし、迫る人と距離を取ろうとする人との何か噛み合わない感じも愉しい。そして、距離を取る人が並んだ場合の、隙があるようでない会話も静かに激しい。

 こういう見方は面白いなと思った。そして、自分とはタイプの違うこの方が、私はまた一段と好きになった。
 何にせよ、話さないと解らないことはたくさんある。やっぱり会話は大切だと、今夜も友人に誘いの電話をかける私。
 タカシさんにキクジさん。そういう訳で、これからもお付き合い下さいね。

-2008.05.20(火)

 

「音壇バー」

 今月から週に一度だけですが、安田くんとバーの営業を任されることになりました。
 カウンターだけの小さな店ですが、どこか古めかしい雰囲気があり、どこか古めかしい僕と安田くんは、大いにバーごっこを楽しんでいます。

 カウンターに座ってもらうのは、今のところ案内を出した友人のみとさせてもらっています。
 なかなか会えない友人と、ゆっくり近況を語り合ったり、常に会う友人とも、打ち上げでは話しにくいことを語る場所にしたかったからです。
 ひと昔前には、文士の方々がグラスを交わしつつ様々な話をする酒場として、文壇バーというものがあったといいます。正確には今もあるのでしょうが、あまり耳にすることがなくなりました。
 それならば、音壇バーがあってもいいではないかと思ったのが、店をやろうと思った理由です。ミュージシャンや舞台人が集まり、寛いで語り合う場所があったらいいなと思ったのです。

 ですから今は、案内をお出ししていない方や知らずに扉を開けた方は、丁寧にお断りさせて頂いています。
 カウンターから見る友人の姿は、なかなか新鮮で愉しいものです。いましばらくは、こんな感じでやっていこうと思っています。
 とは言っても、優秀な安田バーテンダーのおかげで、僕は呑んでおしゃべりしているだけなのですが。

-2008.04.15(火)

 

「くたびれる」

 病は気から、と言うが、なかなか的を得た言葉だと思う。
 先日、花粉症の到来と共に風邪をひいてしまった。かくいう今も、セレブなティッシュを近くに置いてこれを書いているのだが、ようやっと熱は下がって声も人並みになってきた。

 花粉症と風邪はややこしい。
 花粉症だからしかたない、と薬ものまずひたすらマスクをして過ごしていたら、寒気がしてきて足元が覚束なくなった。お年寄りに紛れて昼間の病院へいってみると、立派な高熱持ちになっていて、それを知った途端にクラッとした。

 ちょっと岩下志麻さんに似た看護士さんに、インフルエンザの検査をしてもらった。鼻にコヨリのようなものを入れるのだが、これがどうにもくすぐったい。
 「くすぐったいけど笑ったらダメですよ」と言われ、「あい」と鼻声で返事をしたものの、ちょいと入っただけでだらしなく「フヘヘヘ」と笑ってしまった。でも、志麻さんも笑ったので、これはこれでいいかと思った。
 さいわいなことにインフルエンザではなく、薬をのんで大汗かいて二日程寝ていたら熱も下がった。

 病院に行くまでに既に風邪は始まっていたのだが、病人入りのゴングは高熱を示す体温計を見た瞬間に鳴った気がする。
 花粉症やなあ、なんか今年はひどいなあ、寒気するけどこれは東京が寒いんやろ、足元がふらつくんはお腹がへってるからやな、とりあえず病院行っとこ、うわ熱高いやんか、あかんあかん、しんどなってきた、くたっ。
 こんな感じに気持ちが萎えていき、僕は風邪になったのではないかと思う。現実の状態を知った時に、気持ちが具合の悪さに白旗をあげてしまった。

 気持ちは、ちょっとした言葉遣いひとつでもやんわり雰囲気を変える。
 同じ意味でも、「疲れた」と口にするより「くたびれた」と発する方が、なんとなく抜けがよく気持ちが折れない感じがする。
 また、「嫌な人だ」とこぼすよりも「個性的な人だ」と受け流すと、どことなくおおらかな気分になれる。

 あくまでも感覚の問題だし、文章で読むとよく解らないかもしれないが、声に出してみると語感からポップな匂いがしないかな、と思ってみたのだが如何だろうか。
 病は気から、気は言葉から。ならば、自分にとって少しでも響きのいい言葉を身につけていたいと思う。お腹が空いてきたから、あんぱんでも食べよう。

-2008.03.10(月)

 

「犬と暮らす」

 10才の大晦日、正月のものを買いに行った両親が、小さなダンボールを抱えて帰ってきた。
 中には、小さな犬が入っていた。犬が苦手だった僕は、距離を取って見ていた。その小さな犬はとても元気がよく、ダンボールから飛び出て部屋の中を走り回っていた。
 その柴犬には、ヤマトという名前が付けられた。祖母が、日本らしい名前をと考えた。父は、正月明けに犬小屋をこしらえ、宇宙戦艦ヤマトのロゴを真似て、「ヤマト」という名札を作った。

 それから14年間、僕とヤマトは、ずっと一緒に暮らした。
 一緒に遊んで、一緒にごはんを食べて、一緒のベットで寝た。だいたいヤマトが先に布団に入っていて、後から入るといつも噛み付かれた。
 だけど、僕はヤマトが好きだった。そして僕は、犬が好きになっていた。

 ヤマトは、やきもち焼きだった。僕の友人が家に遊びに来たら、とりあえず、自分も一緒に遊びたがった。
 そして、自分よりも僕と仲良くしていると感じると、すかさず噛み付いた。「おい、ちょっと亮くんに近付きすぎやで」と言わんばかりに。 

 ヤマトは、僕が東京に行った翌日に体調を崩して、ほとんど動かなくなった。1997年の9月1日のこと。
 僕はそれを知り、秋分の日の連休を利用して実家に帰った。ヤマトは、ちょっと目をあけて僕を見た。「おっ、亮くん帰ってきたんかいな。ごめんな、ちょっとしんどいねん」みたいな感じで。
 その夜は、ヤマトの隣で寝た。祖母が亡くなった時と同じ匂いがしたから、ヤマトも死ぬんだなと思った。悲しくて、淋しくて、いっぱい泣いた。

 翌日の夜、僕は東京に戻った。帰り際、ヤマトにお別れを言った。言葉にはしなかったけど、頭を3回撫でた。
 ヤマトは立ち上がろうとして、身体をプルプル動かした。どうにか立ち上がると、僕の持ったお皿から水を飲んだ。「ありがとうなあ、亮くん。元気でな」みたいな感じで。

 そして、翌日の夜にヤマトは死んだ。電話をくれた母は泣いていた。父も、悲しそうだった。「おまえが帰ってくるのを待ってたんやな」と言うのが精一杯みたいだった。
 その日の日記は、少し感傷的になってしまった。どんなことを書いたかは思い出せないが、ヤマトの絵を描いたことは覚えている。
 僕は、絵が下手で下手でどうしようもないのだが、その絵は、丁寧に時間をかけて描いた。

-2008.02.10(日)

 

「小鍋だて」

 毎年、年初めのエイトマンは鍋について書くことになっている。
 何年も書いているかのように言い切ってしまったが、企画自体がまだ2年目。したがって、今回が2回目。とりあえず、鍋について書きたいんだ私は俺は。なんか、勢いがあるな今日は。というのもこの冬は、念願というと言い過ぎだが、欲しかった小さな土鍋を購入したからだ。

 池波正太郎は、エッセイの中でこう書いている。以下、抜粋。好きです、池波さん。

 底の浅い、小さな土鍋は、冬を迎えた私にとって、
「何よりの友だち…」
 と、なる。(<小鍋だて>より)

 なんとも無駄のない書き出し。しびれた。そして、私は小さな土鍋を買おうと決めた。
 魚介類や野菜などを、小鍋で煮ながら食べることを、「小鍋だて」というらしい。
 池波先生も書いておられるが、さまざまな変化を付けることが出来るので、毎夜のごとく続いても飽きることがない。
 つまり、毎晩会っても新鮮。とどのつまり、気が合う。よって、親友。言うまでもなく、「何よりの友だち」となる。
 食べ終わってからも、鍋焼きうどんに変身したり、心変わりで雑炊にしてみたり。末永く、寄り添ってくれる。なんとも友だち甲斐のある奴だ。ありがとう、小鍋。きっと、夏になっても忘れない。

 では、どんな具材で食べるのか。
 池波大先輩は、浅蜊のムキミと白菜を酒三に水七の割合で煮立て、ポン酢でさっと召し上がっている。渋い。これは、もう少し年齢を重ねないと様にならない。
 私は、同じ割合で豆腐と鶏肉に白菜を煮立て、ポン酢をめんつゆで割ったもので戴くことをよしとする。「よしとする」って、なんだか文学的だ。そう思わないか、そこの君。
 とにかく、具材は2つか3つ。それで充分。鱈とシメジとか。豆腐と白菜とかでもいい。安くつく。熱いから、ゆっくりしか食べれない。時間をかけて食べると、食べ過ぎないから身体にも優しい。
 なんか、いいことばっかりだ!あらためて、ありがとう。もう離さないぜ、小鍋。

 池波師匠は、まだ小学生の小さい時から、小遣いをためこんでは鍋ものを食べに出かけたという。そして、
「蛤なべにご飯をおくれよ」
 などと、粋なことをおっしゃったらしい。
それに比べると、34才で小鍋デビューした私は、あまりにも遅れてきた小鍋野郎だ。でも、いいんだ。小鍋は楽しい。家族揃っての小鍋大会も、きっと楽しいだろう。色や模様の違う小鍋を並べてね。味つけも少々変えたりしてさ。
 とにかく、いいですよ。小鍋だて。洗い物も少なく済むから、手荒れも解消。手荒れをなくして、今日から手タレですよ奥さん!そして、お嬢さん!

-2008.01.10(木)



● 立川亮のマンスリーエイトマン back number 02 ●