◆◆◆ 田原亜紀 エッセイ back number 2011 ◆◆◆


ご縁あって。

 皆さまこんにちは。あっきぃです。今年の最後のエッセイです。

 この1年を振り返ってみて、特にこの数ヶ月はいろんな方といろんな形で演奏する機会をいただきました。感謝、感謝です。
 それぞれにご縁があって一緒に演奏することとなったのですが、その中でいろいろ貴重な経験をさせていただきました。


 まずは五線譜との再会。
 バンドをやり始めてからは、ほとんどコード譜でやってきたわけですが、ここ数ヶ月クラシックの方とやるようになってからは、「五線譜を見る」機会がやってきました。
 幼少の頃は五線譜でないと弾けなかった私。今はコード譜に慣れきって五線譜を忘れかかっていた私。
 もともと幼少の頃から五線譜を読むのは苦手なほうでしたから、もう一度五線譜と向き合う良き機会を与えていただきました。

 次に、人の曲をコピーして演奏する機会。
 コピーバンドをやっていた十代の頃に戻ったようでした。「バンド譜を見る」のも20年近く(?)なかったわけですから、ものすご〜く新鮮でした。

 ツインギターのバンド。
 アコギとエレキ、ではなく、エレキ2本がいるバンドって人生初かも〜!その中で自分がどの位置でどういう音を出すのがよいのか・・・勉強になりました。

 シンセを使う。
 もう何年も使っていなかった機材を引っ張り出して、今まで使ったことのない音色(オーケストラヒットとか、シンセらしい音)を
弾くっていうのは新鮮でした。

 女性と音楽をやる。
 ソプラノのUちゃんは、私にとって貴重な「女子」の音楽仲間です。
 そういえば、十代の頃のバンドを除けば、私の音楽人生、男子に囲まれて演奏してきたので、本当に嬉しいです。来年、桜が咲く頃にUちゃんの地元で演奏することが決まったので本当に楽しみです。


 ところで、「今年、私は何人の人と演奏した(する)のかな?」って、いま急に数えてみたくなりました。
 おタンゴさん(+ファミリア)で4人、虫の音の3人、マルタラの4人、ひげさんところで2人、ラジオニクス(虫の音メンバー除く)で2人、ソプラノUちゃん、こんちゃんとこで5人(生徒さん除く)、ドッキー(と二人でライブってのもありました)、スナック等々力(は、みんなどこかしらでご一緒していましたからノーカウント)、そして近々一緒にやる予定のBlossomの3人・・・で25人か・・・。ありがたいことですね。


 リハーサルも、それぞれのバンド(現場)の空気感が違っていて、それぞれ楽しいです。
 駄洒落なバンド、オヤジギャグなバンド、シモネタなバンド、無口なバンド、マジメなバンド・・・カラーはいろいろ。そのバンドでしか使えない言葉、流行っている口調やモノマネ・・・などもあります。
 その中での自分の立ち位置なんかも変わってきて、それがまたおもしろかったりもします。


 しかしまた一方で、勉強させていただいたことも沢山ありました。
 こういう場ではどういう振る舞いをするべきか、自分にはどういうところが足りないのか、他のメンバーさんの背中から教わりました。
 特に、お手伝いをしたドラムの発表会では、生徒さんたちの純粋で一生懸命な気持ち、真剣に取り組む姿に心うたれました。沢山教えられました。


 音楽を奏でる・・・そこにはいろんな人が集まるのですから、考え方もそれぞれ。
 自分の考えは言葉にして言わなきゃ伝わらないので基本的には伝えますが、その考えがとおる場合、それが通用しない場合、いろいろですね。

 そういった意味では、おタンゴさんは、そのバランスがちょうど、ええ。


 まぁ、何が言いたいかって言うと、音を奏でることは楽しい!ってことです。
 よきご縁に恵まれ、音を奏でる場があることに感謝。
 なんだかんだ言いつつも、続けてやってきた意味ってあったんだな、って思います。

 来年も、よきご縁・よき機会にめぐり合えますように!

 これを読んでくださっている皆さんとも、何かのご縁があったってこと。
 これからも、どうぞよろしくお願いいたします☆

 …今日はこれまで!

-2011.11月

 

 

仙台のこと

 個人的には1年ぶりでしたが、この9月、タンゴでは2年ぶりに仙台に行ってきました。
 9月10日の土曜日は2年ぶりのジャズフェス、そしてライブハウスennには2007年1月以来の出演でした。
 震災があった今年、仙台で演奏できたことは私たちにとって大きなことでした。
 癒しというジャンルではないですが、私たちのやり方で少しでもエールを送れたのではないでしょうか。
 そのあたりのことは、メンバーのBlogなどをご覧ください。

 それ以前、7月のことですが、自分の気持ちを忘れないために書き留めておきたいと思います。

 7月19日。
 9月のジャズフェスの打ち合わせに、ワカヤマくんタテカワさんとともに車で日帰り。3月の震災以来初めて訪れる仙台でした。
 7月に行われるこの打ち合わせで、演奏する場所と時間が発表されるのですが、今回はジャズフェス出演7回目にして、初めて定禅寺通りから外れました。定禅寺通りで演奏することを念頭に置いて「緑のカーテン」という曲を作ったのですがねぇ(笑)
 割り当てられた私たちの演奏時間は、震災のあった14:46が含まれており、その時間にジャズフェス全体で行われる企画を担当することに。2ヶ月後に仙台で演奏させてもらえる!嬉しい気持ちになりました。

 「六魂祭」が行われている仙台の市街地は、太鼓の音や踊り手さんたちの声で賑やか。そして見物客で大混雑。
 補修工事などを行っている建物もぽつぽつありましたが、パッと見た感じでは、街はそんなに変わった様子はないようにも思いました。

 せっかく仙台に来たので、ennに電話して突撃訪問。
 震災の数日後、初めて電話がつながった際、開口一番「生きてます!」と電話に出てくれたenn店長沼田氏、通称ぬまっち。あのときは本当に安心したし嬉しかったよ。そしてこの日は顔を見れて更に嬉しかった!
 ennの皆さんが無事だったこと、ennの事務所のあるのビルは断水が続いていてライブが出来ないこと、2ndと3rdの営業は出来ていることなどを聞きました。
 突撃訪問した挙句に突撃出演依頼交渉をし→その場で即OKをいただきました。こうして9/10のennライブが決まったのでした。店長の心意気だね、ありがとう。
 ennのビルの1階部分には、地震の衝撃の大きさを示す亀裂がありました。市街地でもよく見たらこういうところが沢山あったのかもしれません。

 その後、仙台港のほうへすこし足を伸ばすことに。
 高速道路を境に海に向かう道沿いには、まっすぐ立っている電信柱は1本もありませんでした。神戸で見た光景と重なりました。

 立ち入り禁止の手前で車を止めて、まず目に飛び込んできたのは泥にまみれた電話機。ここは屋外の駐車場なのに。片方のレンズがない眼鏡もありました。
 折れ曲がった標識、押し流されたガソリンスタンド、2階のガラスまでなくなってしまった建物、地面が大きくえぐれた駐車場・・・どれもこれも普通ではない光景でした。
 大きく削られてしまった駐車場には大きな大きな土嚢が詰まれ、ポンプで海側に水をくみ上げていました。でもその向こうでは子供たちが無邪気に遊んでいました。

 警備員さんのお話では2階建てのその建物は7メートルの津波に襲われ、2階に避難していた方のうち何名かは津波にさらわれてしまったとのことでした。その状況を淡々と語る警備員さんにも驚かされました。
 現場で遊ぶ子どもたちや、淡々と語る警備員さん・・・それがここに暮らす人の4ヶ月の日常で、初めて見聞きした私たちとは明らかにギャップがありました。
 建物の脇に立ち「7メートル」を想像してみました。2階建てを丸呑みしてしまう高さでした。底知れぬ恐怖感とやりきれない感情。
 阪神の震災時にはなかった「津波」という大きな自然のエネルギーに対する恐怖に襲われました。足がすくみました。

 海を離れてずいぶん走っても、非日常の景色が続きました。
 1階ががらんどうになった建物、錆びた骨組みだけになってしまった工場、そこに棲みつくカラスたち、おもちゃのようにぺしゃんこにされて高く積み上げられた車、田んぼに裏向きになった車・・・そして鼻をつく異臭。
 報道で目にしてきた地域ではないかもしれないけれど、たった今この目の前の場所が、あの日の悲惨な「現場」であったのだと、肌で感じるものがありました。
 そしてそこは4ヶ月のあいだ時間が止まっているようにも見えました。
 「がんばろう東北」と書かれたのぼりが立っていましたが、現場を見た私は正直がんばれないよ・・・と思いました。
 それでも「がんばろう東北」と言える地元の方の強さを、言葉の重みを感じました。

 目に見えた異様な光景の中にひとつだけ、希望を見ました。
 車や灯油を入れるポリタンクが散乱している田んぼの畦道で、タンポポが種を飛ばし始めていました。
 4ヶ月が過ぎて瓦礫がそのままの場所にも、平等に季節はやってきてタンポポは花を咲かせ、種をつけたのですね。
 この日見た光景や異臭、そして力強いタンポポ。一生脳裏に焼き付けておかなければと思いました。

 東京へ帰ってひと月ぐらいは、ショックが大きかったのか、なかなか普段どおりの生活が出来ませんでした。生活が乱れるというか、心が乱れていたのでしょう。
 ですが、9月に仙台で演奏をした際、私たちを待っていてくださった方がいらっしゃったり、皆さんが笑顔で聴いてくださったり・・・私たちのほうが元気をもらったような気がしました。
 本当に嬉しく、感慨深い時間でした。ありがとうございました。

 そして。
 震災のあった今年、12月に再びennさんで演奏させていただくことが決まりました。待っててね、仙台。

 …今日はこれまで!

-2011.10月
更新が滞り、申し訳ありませんでした。

 

 

引き際

 今日(20日執筆)、大関魁皇が引退されました。
 寂しい気持ちもありますが、すがすがしい表情と笑顔で会見される大関を見て、わたしもなんだかほっとしました。
 ここまで現役を続けてくれて、本当にありがとうございました、と。

 千代の富士の1045勝に並んだ日の中継を見ていたのですが、勝った瞬間はほっとした表情、でもその後土俵から降りた時にはもう厳しい顔に戻っていました。
 「今この瞬間、魁皇は何を思っているかな、もうそろそろなのかな」と思いました。

 通算最多勝利記録1位(1047勝)、幕内勝利数1位(879勝)、幕内在位1位(107場所)、大関在位1位タイ(65場所)、どこをとっても素晴らしい記録。
 昭和63年入門、勝負の世界に身を置いた23年。気は優しくて力持ち。「おすもうさん」を体現してくれました。
 引退会見で「後悔は何もない」と語っていたすがすがしい顔がとても印象的でした。本当にすべてを出し切ったのだな、と。
 歴代1位の1047勝を達成され、燃え尽きたという感じでしょう。本当におつかれさまでした。
 24日の千秋楽に39歳の誕生日を迎えるはずだった幕内最高齢は、負け越しにならないまま、最後に鮮やかな引き際の美学を見せてくれました。
 
 不祥事が続いた大相撲。日本人最高位で大相撲を引っ張り、本当によくがんばってこられたと思います。
 昨年の5月場所、7月場所、9月場所。
 魁皇がいつ引退してもおかしくないと思って、国技館へ足を運び「魁皇コール」に参加できたことが嬉しかったです。
 魁皇の引退で、ひとつの時代が終わった。そんなふうに感じます。

 一方で、魁皇の背中を追ってがんばってきた若い力も伸びてきています。
 同じ福岡県出身の琴奨菊や、鶴竜、稀勢ノ里など・・・この中から抜け出すのはどの力士か?
 新しい大関の誕生を楽しみに待っています。

 次回の本場所は、国技館で開催される9月場所。
 今度は年寄「浅香山」さんに国技館で会えるかも?!
 行かなくちゃ!

 …今日はこれまで!

-2011.7月

 

 

いつの日か笑い話に

 この春、仲間のありがたさを改めて感じる出来事がありました。

 ことの発端は、私のわがままな申し出から。
 皆が考える答えがまとまりつつある中で、それに反してもうひと踏ん張りしたいと言ったことがきっかけです。
 なぜかそのときの私は、この問題は、震災をこえて生かされた自分に与えられた試練なのかも、と思ったのです。
 人として自分が大きくなるために与えられた機会なのかも、と。
 今となって思えば、ただの独りよがりだったかもしれませんが。

 私の申し出に、仲間は辛抱強く付き合ってくれました。
 自分の時間を割いてくれたり、励ましや信頼の言葉をかけてくれたり、時には爆笑するメールを送ってくれたり(タイミングよく、センスもいい!)。
 それらから、私はやる気と根気と勇気をもらいました。

 また、仲間がそれまでひとりで背負っていたものの重さを知ることも出来ました。
 頭で想像して理解しているつもりでいたことも、実際に経験してみると想像以上でした。

 終わってみれば、時間と労力を消費し、神経を擦り減らしただけだったのかもしれません。
 が。
 ありがたいことに、これをきっかけに私は、自分がよき仲間に恵まれていることを再確認できたのです。
 こんなに面白く素敵な仲間と一緒に、音を奏で、ステージを作ることが出来る環境に身を置いていられることが、本当にありがたいと思いました。

 今回はこのことを、どうしても書いておきたかった。
 本当に感謝しています。ありがとう、おタンゴ男子たち!
 たはら38。人としてまだまだ未熟。
 これからも、どうぞよろしく!

 …今日はこれまで!

-2011.5.20

 

 

One for All

 このたびの東北地方を震源とする地震において、被災された皆さまにお見舞い申し上げるとともに、引き続き皆さまのご無事をお祈りしています。
 被害の全貌が見えず、時期尚早かもしれませんが書こうと思いました。

 東北地方に住む幼なじみ一家、友人・知人の無事が確認できました。
 まだまだ大変な生活が続いているようですが、皆、不平不満を一切言いません。


 被災地以外に住むみなさん。まずは落ち着いて。
 東京は当日に電車が止まっただけですよ。(実際私も3時間歩いてスタジオに着いた一人でしたが)
 その食糧・ガソリン・生活用品は、本当に今必要ですか?
 ガソリンスタンドの長蛇の列や、買い物に出かけて棚がすっからかんでびっくりしました。
 気持ちはわからなくもありませんが。

 被災地の方は着の身着のままで逃げた方もいらっしゃいますし、避難所ではなく自宅で、家族身を寄せ合って不便な生活を送っている方もいらっしゃいます。
 その方たちは今、食糧だけでなく燃料も必要とされています。
 実際、幼なじみから、いまのところ水はあるが燃料が心配と連絡が来ました。


 こう考えてみてはどうでしょうか?
 「被災地にモノを回す」と。

 今までの食生活を見直し、家にある食材でなんとかやってみることを考えてみませんか?
 極力移動を控え、厚着をして節電に努めませんか?
 生活が便利になりすぎたことに慣れてしまっていますが、時代を少し戻した生活を思い出しませんか?
 いま、生活力・やりくり力を試されている気がします。

 原発の件も心配されますが、今現在も必死に作業をされている方がいます。
 便利になりすぎた今の生活があるのは、原発があったおかげです。
 作業に従事されている皆さんを信じましょう。
 

 以前このエッセイでも書きましたが、神戸で被災した時、私も不便な生活を送りました。
 だけどあのとき、皆協力しあって力強く生きていました。
 あの震災から立ち上がったニッポンです。大丈夫。ニッポンの底力は強いんです。

 ひとりはみんなのために。
 がんばろう東北!!がんばろうニッポン!!

 …今日はこれまで!

-2011.3.17

 

 

大往生

 先日のこと。
 大阪にいる母方の祖母が亡くなったため、お別れを言いに帰阪していました。

 祖母は93歳の大往生!
 祖父母の中では一番長生きをしてくれ、ぼけることもなく、いわゆる老衰でした。
 祖母は3年ほど前から、実家から程近い老人ホームにお世話になっていました。
 年々少しずつ弱ってきて入院も何度かしたようですが、最期は病院ではなくそのホームで、息子夫婦・娘夫婦に見守られながら静かに息を引き取ったとききました。


 祖父が亡くなって30年。
 祖母はもともと色んな事に興味を持つ人で、大正生まれの女性では珍しく車の運転をしたり、茶道をしたり、連句の会などに行ったりと、一人暮らしをしながらも活発に日々を過ごしていたようです。

 私の七五三のときに着た着物には、私が着易いようにと仮縫いを施してくれたり、二十歳の時には浴衣を買ってくれたりしました(成人式のお祝いに着物を・・・と言ってくれたのですが、着物より浴衣がいいと私が言ったので)。

 私が小学生の頃、母が夕方から夜にかけてピアノを教えに楽器店へ通っていたときは、週1回おばあちゃんがうちに来てくれて、ごはんを一緒に食べたり、洗濯物をたたむなど、母に代わって家事&子守をしてくれました。
 私たちの家とおばあちゃんの家が徒歩10〜15分程だったので(川を挟んであっちとこっち)、そういったことも可能な環境でした。

 おばあちゃんの家・・・といえば、お正月に親戚が集まったことを思い出します。
 祖母、おじさんおばさんたち、両親と兄、いとこたち、合わせて最大で15人。
 宅配ピザを何枚か頼んで、みんなでわいわい食べて、いとこたちと遊んで・・・そういった時間が何年かありました。
 その時食卓に並んだ、おばあちゃん手作りの茶碗蒸しが本当に美味しかったのを覚えています。具は百合根に銀杏・しいたけ・鶏肉など。


 今回のお通夜の夜伽(よとぎ - 夜の間中お線香を絶やさないこと)を、私を含めた孫5人で担当することになり、斎場に泊まりこみました。
 おじさん夫妻が持ってきてくれた、祖母の家に置いてあった昔のアルバムを見ながら、いとこたちと夜中まで話し込みました。
 アルバムには、孫たちをいろんなところに連れて行ってくれた時の写真がいっぱい。
 若い頃のおじいちゃんおばあちゃん、おじさんおばさん、子供の頃の私たちなど。
 「親世代もみんな若かったね」とか「この頃○○くんはまだ生まれてないね」など・・・昔話に花を咲かせました。
 おばあちゃんは、昔から皆がわいわいしているのを喜んでくれていたようだったので、この夜も久しぶりに会った孫どうしで、いろんな話ができてよかったです。孫の代までの15名だけの家族葬だったこともあって、お正月におばあちゃんの家に集まっていたあの頃のようでした。
 沢山の写真がアルバムにきちんと整理してあって、おじいちゃんもおばあちゃんも私たちのことを本当に可愛がってくれていたんだなぁ、と改めて嬉しく思いました。

 その中で一枚の写真が目に留まりました。私が生まれて間もない頃のものでしょう。
 赤ん坊の私(ほぼ全裸のため掲載不可(笑))を、小さなお風呂に入れてくれているおばあちゃんの写真。泣いている私に向かって、おばあちゃんが笑いかけてくれています。
 そのときの記憶が私にはありませんが、孫の私にこんなに笑顔で接してくれたんだなぁ、と本当に嬉しかったです。

 祖母は頭の回転が早く、またユーモアあふれるかわいらしいおばあちゃんでした。
 1年ほど前に会いに行ったときは、沢山話せる状態ではなかったですが、自分ひとりでベッドから車椅子に移った祖母に「おばあちゃん、すごいねー!」と声をかけたら、人差し指を横にして鼻の下を横に動かす、いわゆる「エッヘン!」のしぐさをして見せてくれました。
 その表情がなんともかわいらしくて、とても印象深く残っています。
 ホームでは、お世話してくださる方に不平不満を一切言わない人だった、とも聞きました。

 お正月の帰阪で、祖母に会ったのが最後になりました。
 そのときの祖母はもう話しができる状態ではなかったですが、自分から手を出してくれて、しっかりと握った手は温かく、私が来たことをわかってくれたのだと思います。

 今回の帰阪では、たくさんの感謝の気持ちを伝えて送り出すことができました。
 長寿を全うして、30年会えなかった祖父に会いにゆけてよかったのでは、とも思います。
 「おじいちゃんー、おばあちゃんがそっちに旅立ったからねー。
  おじいちゃんの知ってるおばあちゃんよりだいぶん歳とってちっちゃくなっちゃったけど、もうすぐおばあちゃんに会えるからねー。」


 おばあちゃん。
 長生きしてくれてありがとう。かわいがってくれてありがとう。
 この先は私たちのことを、おじいちゃんと一緒に見守っていてね。
 本当に、ありがとう!

 …今日はこれまで!

-2011.1.20

 


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